2007-04-11

内田樹氏の胡乱なコラム『「軍隊なし」は平和ボケか』

朝日新聞2007年4月10日付朝刊に、『60歳の憲法と私』というコラムが載っていた。いろんな論者を迎え、不定期連載するものらしい。その第一回目は、内田樹氏だ。タイトルは『「軍隊なし」は平和ボケか』とある。ネット上に文章がないため、全文引用する。引用の際のタイプミスは、私に責任がある。
戦争の放棄をうたった憲法9条と自衛隊の不整合というのは、絶妙な政治的トリックだと思う。いわば、羊頭狗肉。羊と狗の間の不整合になんともいえない妙味がある。
9条はアメリカが日本を軍事的に無害化するために与え、自衛隊は軍事的に有用化するために与えた。アメリカの世界戦略の枠組みの中で見ればその二つの間に矛盾はない。自衛隊をつくった時に9条に手をつけなかったのは、東西冷戦のなか、「日本軍」とマルクス主義的反米ナショナリズムが結びつくことを警戒したからだ。9条という縛りがある限り、日本はアメリカにとって「安全な国」であり続ける。
しかし、日本人にとって9条と自衛隊に矛盾がないと認めることは日本がアメリカの軍事的属国だと認めることであり、日本人はそれを受け入れるだけの心理的成熟を果たしていない。そこで、政治的トリックとして、戦後日本のすべての不幸は、9条と自衛隊の矛盾から生まれているという、日本人以外の誰も信じていない「物語」を信じるという病に進んで陥ったのである。
その見返りに、日本は大きな疾病利得を得た。60年に及ぶ平和だ。
「軍隊がないから国際社会で侮られる」という改憲派のロジックを突き詰めると、いずれは日米安保の廃棄、自主核武装、米国を含むどの国とも戦争することのできる「ふつうの国」になるという結論に行き着く。日本が侮られるのは9条があるからではない。アメリカの属国だからである。侮られたくないならアメリカと手を切って「アメリカに核を撃ちこむ権利」を留保するしかない。改憲派の諸君にその覚悟はあるまい。
日本には世界に誇れるものがいくらでもある。サービスの水準は世界最高だし、「水と安全がただ」のエルドラド(黄金郷)だ。世界でも例外的な「美しい国」を60年かけて営々と築き上げてきたのである。
軍事的プレゼンスを取り戻す代わりにこの平和と生活の質を失ってもいいと改憲論者が本気で思っているなら、彼らこそ「平和ボケ」しているのだと思う。北朝鮮のような軍事国家になる覚悟がないなら、改憲は口先だけにしておく方がいい。
まず、改憲すべきと言っているのか、改憲すべきでないと言っているのか、結論が不明確だ。おそらく、最初に「憲法9条と自衛隊の不整合」に対して、「なんともいえない妙味がある」と述べているのだから、不整合ではあるが改憲すべきでない、と言っているのだろう。
ならばハッキリその様に書けば良さそうなものだが、何故は氏は結論を曖昧にしている。これにはおそらく、次のような理由があるのだと私は推測している。
氏は、日本が「国際社会で侮られて」いることを認めていて、その理由を日本が「アメリカの属国だから」だとしている。では、なぜ日本がアメリカの属国であると言えるのか、と言えば、直接には「日本人にとって9条と自衛隊に矛盾がないと認めることは日本がアメリカの軍事的属国だと認めること」だと述べている。
しかしこれは疑問だ。9条と自衛隊に矛盾があると認めれば、日本がアメリカの属国ではない、と言えるのか。そんなことは言える筈がない。氏が「9条という縛りがある限り、日本はアメリカにとって「安全な国」であり続ける」と指摘している通り、「9条という縛りがある限り」、日本はアメリカの属国なのだ。
そしてこのことは、氏が「日本が侮られるのは9条があるからではない」という主張と矛盾する。この矛盾を抱えているため、氏は結論を曖昧にせざるを得ないのだろう。

そうでない、というのなら、9条と自衛隊に矛盾があると認めれば、日本がアメリカの属国ではない、とする理由を述べるべきだ。また、認められたその矛盾を敢えて訂正しない理由も示すべきだ。氏は、それが「絶妙な政治的トリックだと思う」という胡乱な理由で肯定するのみで、具体的な理由を示してはいない。



とまあ、大筋でも曖昧で根拠の薄い主張だが、細かいところもツッコミどころ満載だ。氏は、「9条と自衛隊に矛盾がないと認めること」を「受け入れるだけの心理的成熟を」日本人は「果たしていない」と主張している。でも、それを認めることは「日本がアメリカの軍事的属国だと認めること」だとも主張している。成熟というのは、自国が他国の軍事的属国であることを受け入れることなのか。だとしたら、そんな成熟は、日本にとって好ましいものなのか。
もしそんな成熟が好ましいと主張するのなら、それを基地問題で悩む沖縄の人たちに向かって主張していただきたい。日本は米国の軍事的属国なのだから、お前らも早いとこ成熟して米軍基地を受け入れろ、と。

「政治的トリックとして、戦後に日本のすべての不幸は、9条と自衛隊の矛盾から生まれているという、日本人以外の誰も信じていない「物語」を信じる」とあるが、そんなことを信じている人は、日本人でも外国人でもごく少数だろう。どこの誰がそんなことを信じているのか教えてもらいたい。

「侮られたくないならアメリカと手を切って「アメリカに核を撃ちこむ権利」を留保するしかない」というのは、意味が解らない。もともと非核武装国家である日本には、「アメリカに核を撃ちこむ権利」などない。それを「留保」せよ、とはどう言う主張なのか。しかも「改憲派の諸君にその覚悟はあるまい」というのはさらに意味不明だ。アメリカに対して持ってもいない核兵器を使用しないことに、それほどの覚悟が必要なのか?
おそらく、「保有」の誤記なのではないかと思うが、ならば、「改憲派の諸君にその覚悟はあるまい」という推測は間違っている。今、自主独立・核武装論を主張する人は、決して多数派ではないが少なからず居る(参考)。彼らはもちろん改憲派である。

「「水と安全がただ」のエルドラド」というのも間違った認識だ。水道水は只同然だが、スーパーやコンビニには飲料水が売られており、ごく普通に買われている。安全が只だというのなら、セコムが個人向けサービスを展開することはないだろう。北朝鮮による拉致も現在進行中の問題だ。これのどこが「水と安全がただ」だと言うのか。他の国よりは安全なのは間違いないが、黄金郷を自称・自尊するほどではない。氏の意見は、よく言って誇大表現、悪く言えば妄想か時代遅れだ。

「軍事的プレゼンスを取り戻す代わりにこの平和と生活の質を失ってもいいと改憲論者が本気で思っているなら」というのも意味不明だ。軍事的プレゼンスを取り戻すのに、防衛費が極端に増大する、というのなら話は解るが、その根拠がない。日本の軍事費は、世界第四位。フランスやイギリス、ドイツよりも多い。にも関わらず、軍事費の対GDP比は、1%以下である。世界平均は3.5%程度だ。なお、日本の防衛費の中には、在日米軍の駐留費用も含まれている。
これより防衛費を増やさねばならない、というのならその根拠を述べるべきだろうし、その増大分が「平和と生活の質」を圧迫する、とする根拠も示すべきだ。

「北朝鮮のような軍事国家になる覚悟がないなら、改憲は口先だけにしておく方がいい」というのも意味が解らない。北朝鮮の例は、核を持てば軍事的プレゼンスと国際的発言力が飛躍的に高まる、という事実を示している。北朝鮮が、軍事国家であった理由は、まだ戦争中(休戦中)であるからだし、国内に睨みを効かせるのに軍隊が必要だからだ。後者はともかくとして、前者は核保有国となった今となっては無効かもしれない。一方日本は、その気になれば数ヶ月で核兵器開発が可能であるとも言われている。
以上より、日本が核兵器を保有するのは比較的簡単・短期間に実現でき、核兵器で軍事的プレゼンスが上がる分、通常兵力の削減を行うことが可能と言える。これは必ずしも軍事大国化ではないし、少なくとも「北朝鮮のような軍事国家」になる必要はない。
そうでない、というのなら、なぜ改憲が「北朝鮮のような軍事国家」化に繋がるのか、その具体的な理由を述べるべきだ。

最後になるが、「改憲派のロジックを突き詰めると、いずれは日米安保の廃棄、自主核武装、米国を含むどの国とも戦争することのできる「ふつうの国」になるという結論に行き着く」は何を言いたいのか不明だ。どの国とも戦争することができるからと言って、見境なしに戦争するわけでもないし、すぐに近隣諸国を侵略開始するわけでもない。
逆に、戦争できない、ということであれば、相手が一方的に宣戦布告してきた場合、どうするのか。国際法上、戦争は一方の宣戦布告から始まる。厳密に言えば、宣戦布告された時点で、戦争できない日本は、すべての軍事行動が不可能となる。
この問題が「絶妙な政治的トリック」でなんとかなる、と言うのなら、憲法のどんな部分も「絶妙な政治的トリック」で無視することが可能になる。そんな憲法は無意味だ。憲法を無意味なものにしたくないのなら、「絶妙な政治的トリック」などという誤魔化しは否定すべきであり、憲法は改正すべきだ。

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