2007-09-25

手首捻挫

BJJの稽古で手首を捻挫してしまった…とほほ。スパーリングを立位から始めて、捨て身技で相手を投げたときに、相手の後腰の帯を握っていた左手の手首を反らす側に挫いた。
今年は怪我が多いなあ。歳かなあ。体重を落とせということなのかも。

2007-09-04

光母子殺害事件被告弁護団への懲戒請求

光母子殺害事件で、最近TV・ネット界隈が騒がしい。被告人弁護団に懲戒請求が殺到しただの、それをTV番組中で誘導した橋下弁護士が被告人弁護団のメンバーから業務妨害で訴えられるだの。

まず、私は法の専門家ではないことを断っておく。その上で次のことを主張したい。
  1. 今回の被告人弁護団の行動は、まったくの合法であろう。
  2. しかし、被告人弁護団には道徳はない。
  3. 今回の件は、法治主義の限界を明示している。
  4. このことは、2500年前から予言されている。
一点目と二点目は、橋下弁護士のブログで述べられている通りだ。刑事事件では、弁護人は、被告人の利益のために、ありとあらゆる合法的手段を用いる。被告人が極悪人であろうとも、被告人の利益になるのなら、どんな荒唐無稽な主張も行う。これが弁護士の仕事だ。今回の被告人弁護団も、そういう弁護士の使命に忠実であったに過ぎない。もっともそれは、死刑判決が下される日が多少先送りされる程度の利益かもしれないが。

しかしながら、あの様な荒唐無稽な主張をすることは、道徳上非常に恥ずかしいことだ。これは言うまでもないことだろう。法律と道徳は必ずしも整合しないのだ。

この一点目、二点目から導かれる結論が三点目。法治主義を突き詰めていけば、合法であれば、どんな恥ずかしいことでやって構わない、という結論を得る。その結論に支配された世界では、詐欺ぎりぎりの行為が日常繰り返され、人は人を信用しなくなる。また、合法な世界のレベル低下は、非合法な世界のレベル低下を招く。軽度の犯罪から極悪犯罪まで、あらゆる犯罪が増加する。法治主義のみに頼ることはつまり、そういう世界を生み出す、ということなのだ。

もっとも、今の世の中はそこまで法治主義に傾いてはいない。しかし、法律家たる弁護士たちは、その職業上の使命により、法治主義を徹底する。それがこの状況を作り出してしまった。それと世の中のギャップに世間の人は驚いたわけだ。

四点目。これは、以前にも書いたが、論語に次のような言葉がある。
道之以政、齊之以刑、民免而無恥
これを道びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免(まぬが)れて恥ずることなし。
要するに、法治主義を徹底すれば、法律に従っていさえすればよい、という恥知らずな人々を生み出す、ということだ。
今回の弁護団の弁護士たちは、恥知らずな人たちではないと信じたい。ただ、恥知らずを演じねばならないときもある、という因果な商売に就いているだけなのだと信じたい

ところで、上の論語の一節には、次のような続きがある。
道之以徳、齊之以禮、有恥且格
これを道びくに徳を以てし、こてを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。
要するに道徳万歳、というわけだが、これは孔子の自画自賛なので割り引いて考える必要がある。法治主義に対する徳治主義は、スケーラビリティに欠けるという問題を持っているからだ。