2007-03-30

朝日新聞・風考計「言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない」

朝日新聞のコラム・風考計より、「言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない」より。
私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
まー、なんて言うか、百年も前のことを現在の倫理で測ってどうする、って話ですが、仮に百年前の韓国併合が当時の倫理としても(当然現在の倫理としても)間違っていたとしたら、現在の竹島占領はどうなのでしょうか?もちろん間違っていると結論せざるを得ないでしょう。それを「間違っている」とも言わずに日本側だけに譲歩を求めるような「夢想」だから、批判を受けているのだ、ということに若宮氏は気付いてないのでしょうか?
泥棒の被害に遭った場合に、盗品を盗人との共有財産にするなんて言ったら、盗人は被害者に友情を感じたりするんでしょうか?もしかすると、自分が間違ったことをしたにも関わらず、それを許すばかりか、盗品をくれるって言うんだから、中には友情を感じる奇特な盗人も居るかもしれませんが、少数派でしょう。
韓国の場合は「独島(竹島)は韓国固有の領土だ」と言っています。自分たちが間違っているとは思っていません。日本が譲ったとしても、韓国は「日本が譲って当然」としか思いません。そのことに友情を感じることはないでしょう。

また、若宮氏の「夢想」にそれなりの正しさを認めるとするならば、その前提として、「韓国の主張は正しい」としなければなりません。しかし、韓国の主張にはどう考えても無理があります。だから若宮氏の「夢想」は論理として成り立たず、批判を受けているのです。



ところで韓国では、日本の文化は朝鮮文化のコピーである、という言論が罷り通ってます。例えば、剣道の起源は韓国にある、と。この主張は荒唐無稽なのですが、仮にこの主張を認めて、今後剣道を「友情剣道」と呼ぶようになったら、日韓新時代のシンボルとやらになるんでしょうか?まあ、なるのかもしれませんが、それは韓国の主張は、どんなものであろうと日本が一方的に受け入れる、という時代なんじゃないでしょうか?若宮氏の「夢想」はそんなことにもつながります。
なお、剣道が特に酷いので筆頭に上げましたが、同様のことは、空手・武士道・柔道・合気道・寿司・盆栽・漫画・清酒でも起こっているそうです。



話を戻すと、若宮氏は次のようにも言っています。
実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。<<略>>
韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
つまり、一方的に韓国を擁護するような発言をして、韓国を諭そう、ということなんでしょう。
でも、そういう日本寄りと言うよりはむしろ韓国寄りの言論は、日本では今までもたくさん存在していました。特に朝日新聞を筆頭として。慰安婦問題もそうだし、若宮氏が例示した韓国併合に関する批判もそうです。でもそれらは、韓国の言論の多様化にはつながりませんでした。若宮氏が批判を受けるのは、そういうところを、まったく考慮しないからでもあります。

しかし、むしろ慰安婦や韓国併合は、反対意見を「夢にも口にすべきでない」ものとして朝日新聞などが封殺しようとしてきた例に挙げるべきかもしれません。曰く、慰安婦問題・韓国併合暗黒時代を認めない代議士は腹を切れ…とは言わなかったかも知れないけど、議員辞職に追い込まれた例はたくさんあります。国会議員に限らず、他にもそういう例はたくさんありました。そう言った「砂の一粒まで絶対に譲れない」などと言ったことに対して「疑問がわく」ことはなかったんでしょうか?当時は無理だったのかもしれませんが、今はどうなんでしょうか?他人のやることはダメだけど、自分達のやることはOKなんでしょうか?

若宮氏は、自分に対する批判を「一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなど」という偏ったものしか挙げていません。でも、そういう極端なものではなく、もっとまともな理由での批判もたくさんあったはずです。それを取り上げずに極端なものだけを取り上げるのは、マスコミお得意のイメージ操作ってもんじゃないでしょうか?そうでないというのなら、まともな批判をもっと真摯に受け止め、反省すべきでしょう。