2007-03-22

慰安婦問題と新聞販拡

多くのマスコミに共通ながら、代表して西日本新聞の社説「対応は河野談話を基本に 従軍慰安婦問題」を取り上げます。安倍総理が
「(官憲による強制的な慰安婦集めなどの)狭義の強制はなかった」などと発言し、韓国などの反発を招いた
ことに関して、
しかし、ことさらそこを強調すれば、問題の本質から逃げている印象を与えるだけだ。
と、要するに狭義・広義に拘るべからず、と主張しています。

まあ確かに、
多くの元従軍慰安婦の女性たちが、甘言でだまされたり、暴力で脅されて慰安婦になった経緯を証言している。それを強いたのが軍だろうが業者だろうが、彼女たちにとってどれほどの違いがあるというのだろうか。
というのは納得できます。しかしだからと言って、狭義か広義かの議論を封殺してよいとは言えないはずです。被害者たる彼女らには重大な問題でなくとも、加害者側に立たされている日本には重大な問題だからです。

さて例えば、新聞の強引な勧誘・売込みが問題になっていたとしましょう(というか、現実に問題になっている)。しかしこれは、新聞社から委託を受けた別業者に雇われた販売勧誘員が行ったとしましょう(現実にもそうだ)。しかし新聞社は「それは別業者が行ったことで、弊社には直接関係ございません」と主張したとしましょう(現実にそう主張している)。確かに新聞社は、そこまで強引に勧誘・売込みをしろと指示したわけではありません。これはどうでしょうか?

新聞の強引な勧誘は、広い範囲で発生している問題で、ずいぶん昔から批判されているがなくなりません。慰安婦問題は、当時は批判されていなかったし、慰安婦には(当時としては)正当な給料が払われたり、衛生管理もされていたり、言われるほど自由がなかったわけでもないことが明らかになってきているのに、批判されます。新聞各社はこのことに矛盾を感じないのでしょうか?

さらに。
韓国外交通商省は「歴史の真実をごまかそうとするものだ」などとするスポークスマン談話を出した。
安倍首相の発言が「過去の歴史に向き合おうとしない日本」のイメージを増幅しているとしたら、私たち国民にとっても不幸なことだ。
歴史の真実とは一体なんでしょう?無かった狭義の強制を在ったことにすることこそが、「歴史の真実をごまかそうとするもの」では無いのでしょうか?「過去の歴史に向き合おうとしない」のが「歴史の真実をごまかそうとする」方だとしたら、それは日本でしょうか、それとも韓国でしょうか?
在った事は在った、無かったことは無かったとするのが歴史の真実を見つめる態度でしょう。歴史の真実を云々するなら、狭義・広義の議論を封殺するような態度を採るべきではないでしょう。また、議論の封殺は、言論の自由にも反します。

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