2007-07-19

別の見解も

仕事が忙しくて更新できませんでした。すまぬ。

それはともかく、またまた大谷昭宏氏ネタなんですが、今回は氏のコラム『見舞金すら出さぬ美しい国 ― これでいいのか中国残留孤児への支援策 ―』について。

今回は珍しく、氏の意見に全面的に賛成です。残留孤児には手厚い保護政策が必要でしょう。

ただ、次の部分が気にかかりました。残留孤児である伊藤勝美さんの発言です。
「裁判所は、戦争の災禍は等しく国民の上に降りかかった。孤児だけが特別ではない、と言います。本当にそう思っているんですか。日本が侵略した国に女と子どもだけが残された。その人たちがどんな目に遭うか。国はそれさえも想像できないと言い張るのですか」
辛い目に遭われたことは本当だろうし、理解もできます。
しかし、それに対して、国だけを批判するのはどうでしょうか。彼女と彼女の母親が満州に残されたのは
勝美さんの父親は旧満州で現地応召
されたからです。現地応召と言うことは、満州現地で召集令状を受け軍務に就いた、つまり、兵隊に行く以前から満州に居た、ということです。なぜ現地に居たかというとおそらく、満州に殖民したからでしょう。満州殖民は何も、国家が強制したわけではありません。各個人の判断で満州へ渡ったはずです。
日本が満州を侵略したというのなら、彼の父親は自分の判断で率先して侵略の片棒を担いだ、と言えるのではないでしょうか。「日本が侵略した国に女と子どもだけが残された」ことに対して、日本が戦争に負けたのが悪い、と言うのなら正当な批判ですが、日本が他国を侵略したのが悪い、と言うのなら、それは彼等家族自身にも向けられるべき批判です。

ところで、残留孤児問題は私にも無関係ではありません。私の父は幼い頃に満州で育ちましたし、父方の祖父は満州鉄道に勤務していました。父が残留孤児になっていた可能性は十分にありますし、もしそうなっていれば、私は生まれていなかったでしょう。
その祖父から聞いた話ですが、終戦となり、日本に引き上げようとした祖父達に向かって、現地の支那人達が「今日本に帰ってもロクなことはない。ここに留まった方がまだマシだ」と言って引き止めたのだそうです。祖父達は、現地人からそれなりに尊敬されていたようです。でも一方、戦中に支那人を苛めていた日本人は、袋叩きに遭っていたそうです。
伊藤さんの両親が支那人を苛めていたかどうかは知りませんし、断言する材料も持っていません。しかし、一概に残留した日本人達が酷い目に遭ったか、というと、そうではないと思います。何故なら、親切に親切で報いる支那人もたくさん居るからです。

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