2007-07-02

結論が逆じゃない?>大谷昭宏氏

今回は珍しくほとんど大谷氏の意見に賛成…なのだが、なんで最後だけそーなるの?ってのが氏のコラム『裁判員制度を拒否したくなった ― 無実男性の願い撥ねつけた富山地裁 ―』。

先日無実が明らかになった強姦冤罪事件を取り上げているのだが、
いま、裁判員制度に参加したくないという国民の大きな理由の一つに「冤罪だったとき、生涯、罪の意識に苛まれる」というものがある。
と、ここまでは異論はない(法理論的にはいろいろあるんだとは思うが、そこは私も詳しくない)。

でも、その後の最後の部分は疑問だ。
こんな人間性のカケラもない裁判長の横に、健全な国民を置いてはならないのである。
「人間性のカケラもない」は言いすぎだと思うが、そこは目を瞑るとしよう。でも、そういう法曹界に欠けた「人間性」を取り戻そう、というのが裁判員制度の目的だ。今回のケースでも、裁判員制で裁かれていれば、証人喚問を行うべきだ、と裁判員が主張した可能性は非常に高いはずだ。それに、裁判官が犯した間違いも、複数の裁判員が精査すれば正すことができるかもしれない。

裁判員制度に参加したくない、と考える人が居ても不思議はないと思う。冤罪事件に加担することになっては、と心配するのも当然だからだ。
しかし、裁判官に人間性が欠けているから、という理由で裁判員制度に参加したくない、と考えるのは論理が破綻している。裁判官に人間性が欠けているなら、それを補うために何らかの対策が必要だと考えるのが論理的。その対策の一つとして裁判員制度が生まれたのだから、むしろ裁判員制度を支持すべきだ。
なんで大谷氏はこんな簡単な論理を理解できないのだろう…

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