sepiaつまり、セピア色の想い出は、
イカの墨
--- 「EXCEED 英和辞典」より
柳葉敏郎や哀川翔が所属していた一世風靡セピアは
ってことです。
sepiaつまり、セピア色の想い出は、
イカの墨
--- 「EXCEED 英和辞典」より
ところで、西暦0年ってキリストの生誕なんでしたっけ?えー、真面目にお答えします。
「B・C」ってBefore Christでしょ?
つーことはですよ。
キリストって12月25日が誕生日じゃないですか。
では、12月26日から31日に生まれた人は紀元前なの?紀元後なの?
そもそもどうしてキリストの誕生日を1月1日にしなかったんでしょう?
京浜東北線赤羽~川口間に「雰囲気工場」という名の工場見ました。雰囲気で何を作っているのかはさっぱりわらないですが、あまりに凄まじい名前だったので気になってしょうがありません。場所は荒川を超えた左手に見えます。是非調べてほしいです。ってのがありました。
全国のスパイから雰囲気工場に電話ボムされたら私が訴えられるので早くも迷宮入り。
ある特定の気体やそれを主とした混合気体の状態、またはその気体の条件下にある状態(Wikipediaの記事)を指す言葉で、例えば、爆発性雰囲気とか、酸化雰囲気、還元性雰囲気なんて使い方をします。
DV(ドメスティックバイオレンス)最近はよく耳にします言葉ですが、大人の間だけの事ではありません。男女交際においても虐待や暴力による対等でない関係があります。なんだそうな(「大人の間だけの事ではありません」ってのが意味不明だし、異性愛者の間だけのことでもないんじゃないかという問題もあるが、それは措くとして)。
デートDVは結婚していない男女間での体、言葉、態度による暴力の事です。親密な相手を思い通りに動かす為に複合的に使われるあらゆる種類の暴力を指します。
domestic家庭内でないのに、家庭内暴力とは?
━━ a. 家庭(内)の, 家事の; 家庭的な, 家事の好きな; 出ぎらいな; 国内[内地]の; 国産の; 自家製の; 飼い慣らされた.
━━ n. (女の)召使い, お手伝い; 〔米〕 (pl.) 国産品.
ではどうしてデートDVが起きるのでしょうか。その一つに"暴力を甘く見る風潮"男の子は多少暴力的でもいい"と暴力容認の社会が背景となっている。この辺りでもう、フェミニスト臭がぷんぷん。
ジェンダーバイアス(社会的性差による偏見)。
*男らしさとは?*(一般的に思われている事例)太字の様に、男のジェンダーには、デートDV(アタマ悪そ!)を妨げるものが含まれている。
苦しくっても弱音をはかない。男は泣かない。感情を表さない。家族を養って
こそ男。強く競争に勝つ。女性を守らなければ。男は黙って・・・。
:女らしさ*
か弱い。守られる。おとなしくついていく。控えめ。貞淑、受身。夫・子供を第1に。理屈を言わない。学歴はそこそこ。家事育児は女性の仕事。
男はいつも自分が正しく、感情にふたをする事が当たり前という概念が頭にあると、思い通りにならなかった時に怒りが爆発し暴力となる。ここまで来ると、支離滅裂。
場面;デート中相手の携帯に電話が入り長時間話しています。あなたはいらいらします。その時の気持ちをどのように伝えますか?に対する解説がヒジョーに独創的(←嫌味)。
A「聞こえてる」ではなく、批判だし、叱責だ。
男「何で食事中に長電話なんかするんだよ!」
女「だって大事な話なんだもん」
男「俺は大事じゃないのかよ。この間もそうだっただろ。もういい加減にしろ!」
このメッセージでは相手にとって批判されたり、責められたりするように聞こえます。このままけんかになりそうですね。
女性も自分の意見を持って”嫌なものは嫌”ときちんと発言していいというのなら、男だって嫌なものは嫌と言って構わないはずだ。
それでは同じ内容をちょっと言い方を変えてみましょう。初犯ならそれでもいいかもしれないが、この女は常習犯。
B
男「食事中に長電話されるといやだな。僕の事どうでもいい様に感じるよ」
女「あっ。ごめんね。でも大事な話なの」
男「そうかもしれないけれど、折角のデート中だから、食べ終わってからかけ直すって言ってくれない?」
女「うん わかった。」
自分の気持ちに焦点を当ててその気持ちを率直に相手に伝える事です。は?素直な気持ちはむしろA。
ただ、残念な事に現社会の中にある”ジェンダーバイアス”は私たちが小さい頃から知らないうちに刷り込まれており、大多数の人も当たり前と思っている事柄です。これを見直して学び直す事は難しいことですが、後回しにしてはいけないなと感じました。いや、それは後回しでいい。山口氏が真っ先に学ぶべきことは作文。
問題の日付は、1~9日が1日、10~19日が10日、20~29日が20日、30、31日は30日として記録されている。63~66年度の4年間に就職や転職をしたり国民年金に加入したりした人のほとんどの生年月日が、そうした形で記録されていたという。これで調べてて気付いたんだけど、Wikipediaの記事によると、日本で西暦が一般に使われるようになったのは、丁度この頃らしい。
日本国内において西暦が常用されるようになったのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピックに向けてのキャンペーンを経た後であり、それ以前には、戦後分離された沖縄、小笠原地域を除き、元号が常であった。なんか関係があるのかな?
甘党なら、あんころ餅は心のふるさとのような存在かもしれない。「ここだけは安泰」と信じた旧来の和菓子ファンは、帰る所を失った心地ではないか。伊勢名物、赤福の偽装である▼包装ずみの商品を冷凍保存し、包み直して売っていた。品切れを防ぐため、70年代から続くやり方だという。解凍し、再包装した日を製造日と偽った品は、過去3年の出荷量の2割近くになる▼小欄にとって、赤福の後味はほろ苦い。8月、北海道銘菓「白い恋人」の賞味期限偽装を取り上げた。経営者が赤福の伝統を目標にしていたことを紹介し、こう書いた。「今年創業300年の赤福の餅は、ごまかせない『製造日限りの販売』だ。伝統にはそれぞれ、理由がある」▼読者の皆様から「赤福にはもちろん、天声人語にも裏切られた」というおしかりや、「天声人語も犠牲者だ」とのご意見をいただいた。いずれにしても老舗(しにせ)の看板に目が曇り、公式サイトの言い分をうのみにした不明は恥じるほかない▼思えばここ30年ほど、赤福の評判は冷凍庫の中で保たれていたわけだ。風味に自信があるなら、冷凍品がまじる事実を堂々と明かせばよかった。銭勘定の下心をうそというあんこで包んでは、伝統さえも凍え死ぬ▼赤福は、長旅で疲れたお伊勢参りの旅人を癒やす餅から出発したと聞く。名前の由来は「赤心慶福」。偽らない心で、善男善女の幸せを一緒に喜ぶ志である。菓子としての素朴さ、作り手の愚直さ。そうした持ち味のあれやこれやが、営利の厚氷の中で震えている。まあ、今回は朝日新聞が悪いわけじゃないと思いますけど。
道之以政、齊之以刑、民免而無恥要するに、法治主義を徹底すれば、法律に従っていさえすればよい、という恥知らずな人々を生み出す、ということだ。
これを道びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免(まぬが)れて恥ずることなし。
道之以徳、齊之以禮、有恥且格要するに道徳万歳、というわけだが、これは孔子の自画自賛なので割り引いて考える必要がある。法治主義に対する徳治主義は、スケーラビリティに欠けるという問題を持っているからだ。
これを道びくに徳を以てし、こてを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。
まさに友野容疑者が採用された1986年といえばバブルの真っ最中。警官のなり手がなくて、試験らしい試験もせずに人をかき集めた時代なのだ。ええと…私、その当時某県警(って、どこかバレバレですが)を受験したのですが…恥ずかしながら、
Internete Explorer 推奨 他のブラウザーでは、画面が乱れることをお断りいたしますなんて書いてありますが、IEで見ようとFirefoxで見ようと、美しくはありません。
エコロジカルアートプロジェクト(下線は私が引きました)みたいに、半角片仮名を使っても気にしない様な人に、アートを自称して欲しくありませんな(意図的に使う場合を除く)。
圧倒的に理数系科目を選んだIQの高い学生は未経験率が高くなるとも言っています。
IQが高すぎる場合と低すぎる場合で性交渉経験率は下がっていく傾向が確認できたつまり、IQが低すぎるのもやっぱりダメだ、と。コミュニケーション能力の問題かなあ。
「裁判所は、戦争の災禍は等しく国民の上に降りかかった。孤児だけが特別ではない、と言います。本当にそう思っているんですか。日本が侵略した国に女と子どもだけが残された。その人たちがどんな目に遭うか。国はそれさえも想像できないと言い張るのですか」辛い目に遭われたことは本当だろうし、理解もできます。
勝美さんの父親は旧満州で現地応召されたからです。現地応召と言うことは、満州現地で召集令状を受け軍務に就いた、つまり、兵隊に行く以前から満州に居た、ということです。なぜ現地に居たかというとおそらく、満州に殖民したからでしょう。満州殖民は何も、国家が強制したわけではありません。各個人の判断で満州へ渡ったはずです。
いま、裁判員制度に参加したくないという国民の大きな理由の一つに「冤罪だったとき、生涯、罪の意識に苛まれる」というものがある。と、ここまでは異論はない(法理論的にはいろいろあるんだとは思うが、そこは私も詳しくない)。
こんな人間性のカケラもない裁判長の横に、健全な国民を置いてはならないのである。「人間性のカケラもない」は言いすぎだと思うが、そこは目を瞑るとしよう。でも、そういう法曹界に欠けた「人間性」を取り戻そう、というのが裁判員制度の目的だ。今回のケースでも、裁判員制で裁かれていれば、証人喚問を行うべきだ、と裁判員が主張した可能性は非常に高いはずだ。それに、裁判官が犯した間違いも、複数の裁判員が精査すれば正すことができるかもしれない。
TBSの情報番組が、ゴルフの関東アマチュア選手権に出場した石川遼選手(15)のプレー中の声を無断で拾うため、同じ組の選手にマイク装着を依頼した問題で、番組のスタッフが別の2選手にも依頼を試みていたことが、六日分かった。まあ、直接自分がしたことじゃなくて、馬鹿な部下がやらかしたことだから、「馬鹿じゃないか」とか「腹立たしい」とか「不愉快」とか思うのはよく解る。
<<略>>
TBSの井上弘社長は同日の定例会見で「ばっかじゃないか。非常に腹立たしいし不愉快。(石川選手には)申し訳ない」と話した。
French kissフレンチキ((舌をからませる))とあります。
先週は43年ぶりに小中学生の全国一斉学力テストが実施された。私立の小中学校の4割もが参加しない学力テストなんて何の意味があるのか。要するに氏は「意味がない」と言いたいのだろう。しかし、そんなことはない。なぜなら、小中学校における私立学校の割合は、ごく少ないからだ。全小学校における私立の割合は0.8%。その4割が参加しない、と言うことは、参加しない私立小学校は、全小学校の内の0.32%にしかならない。逆に言えば、99.6%の学校が参加したということ。中学校で言うと、もう少し数値は下がるが、それでも97%以上の参加、という数値を得る。
結局は安倍総理が提唱している学校バウチャー制度、学校間に格差をつけて、優秀な学校にはより手厚く、ダメ学校は切り捨てる。そのような懐疑を抱くことは、ジャーナリストとしては当然かもしれない。しかし一方で、現実に存在している学校間の学力格差という問題を、氏はどのように解消すればいいと考えているのだろうか?問題の正確な把握なしには、問題の解決はありえない。学力調査をしなければ、学力格差は解消されない。
子守歌を聞かせて母乳で育児しろだと。えっ、それじゃあ何かい。「浪曲子守歌」じゃないけど、逃げた女房に未練はないおとっつあんが、お乳欲しがるこの子 がかわいい、と言いつつ、子守歌など苦手な親父のド演歌のひとつもうなって聞かせたんじゃ、ロクな子どもは育たないというのか。親学のレベルも低いが、この反論もレベルが低すぎ。言いがかりに過ぎない。現実の教育問題では、一つの要因が結果を支配してしまう、ということは殆どありえない。もしそうなら、そんな単純な問題はとっくに解決しているはず。現実には、複数の要因が関連して結果が生まれている。教育再生会議だって、子守唄を聞かせなかったら即ロクな子供が育たない、などとは当然言っていない。挙げた例の内、複数のものが「ダメ」なら結果も「ダメ」の可能性が高い(のではないか)と言っている。
その子どもに将来、何かあったとき、母親は、自分はあの親学の通りには出来なかった、この子に申し訳のないことをしてしまったと悩まなければならないのか。これまた無意味な反論だ。親学の通りのできたかどうかはともかく、どちらにせよまともな親なら「その子どもに将来、何かあったとき」には悩むに決まっている。親も人間。完璧ではないのだから、いつも悩みはあるだろう。逆に、親学がなければ親は「その子どもに将来、何かあったとき」に悩まなくて済むという問題でもない。
それに有識者のみなさんはずい分とテレビがお嫌いなようだが、テレビにも素晴らしいドキュメンタリーや、大自然や動物の世界を描いた心揺さぶられる作品も ある。反対に演劇にも、小難しい自己表現とやらで、頭がこんがらがってくるような駄作もある。何を基準に演劇を鑑賞しろ、と声高に叫んでいるのか。その理由は簡単。TVには「古典」がないからだ。古典とは、時間の淘汰に耐えた優れた作品のこと。TVにはそれがないが、演劇にはある。古典になっているかどうかを「基準に演劇を鑑賞しろ」と言えば十分。「小難しい自己表現とやらで、頭がこんがらがってくるような駄作」は、少なくとも古典には含まれない。
参加校の内訳は小学校2万1952校(99.64%)▽中学校1万501校(97.54%)▽中高一貫教育をしている中等教育学校22校(88.00%) ▽特別支援学校(旧盲・聾・養護学校など)281校(99.65%)。とある。私の試算は、Wikipediaの記事を基にしたが、ほぼ正確だった。私立・公立学校数については、文部科学省の発表資料(PDF)がある。
つまり目に見えないものは、とりあえずなかったことにしておく。ないことにしてあるんだから、その対策なんてもってのほかという、いい加減な社会ではないかということなのである。と書いている。つまりこれは
嗜好の違う人を許さない原理主義ではないのかなんてユーモアのカケラもない反論をするのは
具体的に憲法のどこが悪いのかがきちんと議論されているわけではない。嘘を言ってはいけない。まず、氏が挙げたような「環境権やプライバシー権、犯罪被害者の権利」に関してはいろんな議論がなされている。だからこそ氏も
時代が必要としている権利を盛り込むべきだという議論がある。と書いているのだろう。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。の問題を憲法の専門家である氏が知らないはずはない。この条文は、私学助成金だけでなく、NPOへの支出でも問題になるはずだ。
13条は包括的な人権保障規定であり、いわば「ドラえもんのポケット」のようなものだ。どんなものでも導出できる規定、という胡乱なものに、何の危険も感じないのだろうか?人権というのは、そんなに手放しで素晴らしいと言える様な完全無欠なものなのか?
憲法が大切にされないとどうなるか。憲法が権力を縛るのでなく、権力が正義そのものになる。やがてナチスが台頭し、ヒトラーは正義を掲げて独裁者となった。と氏が主張しているような「権力が正義そのものになる」状態だ。つまり、解釈改憲は危険なものであり、それを(できる限り)許すべきではない、と結論付けねばならない。なのにそう主張しないのは、憲法学者のテリトリーを死守しようとしてるからだ、と考えるのは穿ち過ぎだろうか?
現憲法は国民の権利について、「公共の福祉」に反しない限り尊重されるとしている。それは他人の人権を侵害しない限りという意味だ。はっきり言って、そんな解釈は初めて聞いた。Aさんの人権とBさんの人権は、無矛盾であるはずがない。人権と人権が衝突することは当然ありうる。しかし、AさんとBさんは、平等なのだから、何らかの調整が必要になる。これは当たり前のことだ。憲法に明記する必要がない。なのにそれがわざわざ憲法に書いてあるとする主張には無理がある。
えいぎょう【営業】とあります。技術者も会社の利益を上げるために「営業」しています。もちろん、そういった目的のために人的資源として組織に投入されています。
(1)営利を目的とした事業をいとなむこと。また、そのいとなみ。「―時間」「運送会社を―する」「九時から―する」
(2)〔法〕 営利を追求して同種の行為を反復継続する活動。また、営業目的のために投入された人的・物的手段が組織的・有機的に統一された事業体。
えいぎょう 営業逆に引くと、
business; trade.
business
n. 事務; 業務; 職業; 実業, 営業, 商業, 商売; 会社, 店; 仕事; 用事, 用件; 議事(日程); 本分; 関与; 事件; (劇の)しぐさ (action).
tradeで「営業部」の「営業」に当たる意味に当たるのは、tradeの方で、「取引」「商売」に当たると言えるでしょう。
n. 商業, 商売; 取引 (make a good ~); 貿易, 交換; 職, 手職 ((大工・左官など)); ((集合的)) (同)業者; ((集合的)) 顧客; (the ~) …業[界]; (the ~s) 貿易風.
v. 商売[取引]する ((in, with)); 売買する; (物々)交換する; 〔米〕 得意客である ((at, with)).
日本について外国人が語った資料としては、中世に日本にやって来た宣教師たちが書いたものが残っている。そして、明治時代になってから外国の公使や外交官が書いたものがある。まあ、そういうこともあったんだろうけど、日本に来た宣教師が、イエズス会本部宛に「早く帰して欲しい」という手紙を送ったって話も聞いたことがあるし、日本以外の国へ派遣された人たちはどうだったのか、という疑問もあります。
そうしたものを読むと、だいたいは日本に対して好意的に書かれている。それは、宣教師たちは骨を埋めるつもりで日本に来て、日本で暮らしながら日本を見たからだろう。
また明治時代の公使や外交官などは、任期が20年くらいあるのが普通だった。長く住むために、日本のことをよく勉強したという。だから好意的になったのだろう。
後世では、「こんな素晴らしい国は世界にずっと永遠に残っていただきたい」とアインシュタインが語った話は有名だ。この話は確かに有名です。ただし、日下氏が言うのとはまったく違う意味で、だけれども。この話は近年、作り話だという説が有力になってきています(参考:『アインシュタインの予言』)。つまり、都市伝説として非常に有名になった話なのです。
日本には、評判というシステムがある。評判で世の中が動いていくのが一番いい。日本はそれを発見して実践している。米国では、評判が立つ前にうまいことを言った人が勝つ。んー、そうかなあ。一方的な見方だと思うなあ。だって、多くの日本人は「あるある」の嘘に騙されましたよね。あれは、「あるある」が「うまいこと言った」からだったのか、あるいは「あるある」から評判が立った結果、騙されてしまったのか。いずれにせよ、上の説を否定することに役に立っても、肯定することはありません。
そのフランス語が標準語になってから、まだ数百年ほどしか経っていない。言っていることは間違ってないけど、近代英語を引き合いに出すなら、やはり日本だって近代日本語を引き合いに出すべきで、それなら明治時代以降、長く見積もったって江戸時代より前には遡れないんじゃないでしょうか。ならば高々400年ほど前にしかなりません。
英国はどうか。近代英語がいつ出来たかというと、だいたい400年ほど前に、現在の英語らしくなってきたという。それは、聖書を英語に翻訳して広めたから、英語が普及したのだ。
一方、日本語はだいたい2000年ほど前に成立したといわれている。
逆に女性の正統派は下着のみですか?(´▽`*)で、BOSSが勧めているのは、
えっちする前に下着でウロウロするのはもっとNG。それでムラムラするのはバリ性欲のみの青少年だけ。
彼のシャツを着る。なんだそうな。
愛らしさ、女らしさのカタチ。
同報告書はとくに賠償について政府間ではすでに対日講和条約や日韓関係正常化で解決ずみとの見解を示し、もし諸外国が日本にいま公式の賠償を求めれば、「日本側は戦争中の東京大空襲の死者8万人や原爆投下の被害への賠償を求めてくる潜在性もある」とも指摘した。なんてことを心配していますが、問題はそれだけに留まりません。というのは、米国自身も日本の設置した慰安所~RAA~を利用していたからです。
戦争の放棄をうたった憲法9条と自衛隊の不整合というのは、絶妙な政治的トリックだと思う。いわば、羊頭狗肉。羊と狗の間の不整合になんともいえない妙味がある。まず、改憲すべきと言っているのか、改憲すべきでないと言っているのか、結論が不明確だ。おそらく、最初に「憲法9条と自衛隊の不整合」に対して、「なんともいえない妙味がある」と述べているのだから、不整合ではあるが改憲すべきでない、と言っているのだろう。
9条はアメリカが日本を軍事的に無害化するために与え、自衛隊は軍事的に有用化するために与えた。アメリカの世界戦略の枠組みの中で見ればその二つの間に矛盾はない。自衛隊をつくった時に9条に手をつけなかったのは、東西冷戦のなか、「日本軍」とマルクス主義的反米ナショナリズムが結びつくことを警戒したからだ。9条という縛りがある限り、日本はアメリカにとって「安全な国」であり続ける。
しかし、日本人にとって9条と自衛隊に矛盾がないと認めることは日本がアメリカの軍事的属国だと認めることであり、日本人はそれを受け入れるだけの心理的成熟を果たしていない。そこで、政治的トリックとして、戦後日本のすべての不幸は、9条と自衛隊の矛盾から生まれているという、日本人以外の誰も信じていない「物語」を信じるという病に進んで陥ったのである。
その見返りに、日本は大きな疾病利得を得た。60年に及ぶ平和だ。
「軍隊がないから国際社会で侮られる」という改憲派のロジックを突き詰めると、いずれは日米安保の廃棄、自主核武装、米国を含むどの国とも戦争することのできる「ふつうの国」になるという結論に行き着く。日本が侮られるのは9条があるからではない。アメリカの属国だからである。侮られたくないならアメリカと手を切って「アメリカに核を撃ちこむ権利」を留保するしかない。改憲派の諸君にその覚悟はあるまい。
日本には世界に誇れるものがいくらでもある。サービスの水準は世界最高だし、「水と安全がただ」のエルドラド(黄金郷)だ。世界でも例外的な「美しい国」を60年かけて営々と築き上げてきたのである。
軍事的プレゼンスを取り戻す代わりにこの平和と生活の質を失ってもいいと改憲論者が本気で思っているなら、彼らこそ「平和ボケ」しているのだと思う。北朝鮮のような軍事国家になる覚悟がないなら、改憲は口先だけにしておく方がいい。
世界初の飛行機は、ライト兄弟より300年先に作られた朝鮮時代の鄭平九による“飛車”だった。で、これにつけられている画像がこれ。
私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。まー、なんて言うか、百年も前のことを現在の倫理で測ってどうする、って話ですが、仮に百年前の韓国併合が当時の倫理としても(当然現在の倫理としても)間違っていたとしたら、現在の竹島占領はどうなのでしょうか?もちろん間違っていると結論せざるを得ないでしょう。それを「間違っている」とも言わずに日本側だけに譲歩を求めるような「夢想」だから、批判を受けているのだ、ということに若宮氏は気付いてないのでしょうか?
だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。<<略>>つまり、一方的に韓国を擁護するような発言をして、韓国を諭そう、ということなんでしょう。
韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
―愛知県、宮城県と中学生が立て続きタミフル服用後転落死をしましたが、タミフルとの因果関係は本当にないのですか?質問がおかしいです。厚労省の主張は、「因果関係がはっきりしない」です。これが「因果関係はない」と主張しているのなら、「因果関係は本当にないのですか?」という質問には意味がありますが、そうではないのですから、厚労省担当者もそう答えるに決まってます。
現在調査中なのでまだはっきりしたことは分かりません
「(官憲による強制的な慰安婦集めなどの)狭義の強制はなかった」などと発言し、韓国などの反発を招いたことに関して、
しかし、ことさらそこを強調すれば、問題の本質から逃げている印象を与えるだけだ。と、要するに狭義・広義に拘るべからず、と主張しています。
多くの元従軍慰安婦の女性たちが、甘言でだまされたり、暴力で脅されて慰安婦になった経緯を証言している。それを強いたのが軍だろうが業者だろうが、彼女たちにとってどれほどの違いがあるというのだろうか。というのは納得できます。しかしだからと言って、狭義か広義かの議論を封殺してよいとは言えないはずです。被害者たる彼女らには重大な問題でなくとも、加害者側に立たされている日本には重大な問題だからです。
韓国外交通商省は「歴史の真実をごまかそうとするものだ」などとするスポークスマン談話を出した。歴史の真実とは一体なんでしょう?無かった狭義の強制を在ったことにすることこそが、「歴史の真実をごまかそうとするもの」では無いのでしょうか?「過去の歴史に向き合おうとしない」のが「歴史の真実をごまかそうとする」方だとしたら、それは日本でしょうか、それとも韓国でしょうか?
安倍首相の発言が「過去の歴史に向き合おうとしない日本」のイメージを増幅しているとしたら、私たち国民にとっても不幸なことだ。
遅すぎる対応を指摘する声がさらに強まりそうだ。としています。つまり、西日本新聞もこの対応を批判したい、ということでしょう。おそらく、他のマスコミも大部分は西日本新聞と同じ意見でしょう。
私がそのデータを分析した結果では、発症初日の昼には、服用した方が何倍もの異常行動を起こす計算になった。厚労省の報告書は、タミフルの影響が少なくなる二日目以降も一緒にしている。異常行動は一回目か二回目の服用から数時間以内が最も起きやすいので、そこをきちんと解析しないと意味がない。しかしこの直後、次のようにも言っています
高熱で意識もうろうとして、むにゃむにゃと変なことを言う「熱譫妄(せんもう)」は確かにある。だが、タミフルによる異常行動は、むしろ熱が下がった時に起きている。この二つの意見は相矛盾しています。前の引用では、発症初日の昼に異常行動を起こしやすい、と言っています。タミフルは、インフルエンザでは通常発症後3~7日間続く発熱を、2~6日間に短縮する効果があります。とすると、タミフルを投与しても、発症初日には熱は下がっていないはずです。一方、後の引用では、熱が下がった後に異常行動が起きていると言っています。タミフルで発熱が収まるのは発症3日目以降ですから、これは矛盾です。
基本的に在日朝鮮人しか参加できない会の為ハングルで進行され、これ、ヘンな表現です。ハングルは、朝鮮語の表音文字。言わば、平仮名や片仮名が日本語の表音文字、というのと同じです。例えば、次のような表現はおかしくないでしょうか?
<<略>>
しかし、在日朝鮮人がハングルで叫び、机を叩きながら強く訴える場面もあり、
基本的に日本人しか参加できない会の為平仮名で進行され、明らかにヘンですよね。最初の例は、会の式次第(進行表)が全部平仮名で書かれていたらおかしい、という意味でも違和感がありますけど、この場合の「進行」とは式次第ではなく司会のことでしょう。聾唖者の集まりでもない限り、通常、司会は声でなされます。声が平仮名とはこれ如何に、となるわけです。
<<略>>
しかし、日本人が片仮名で叫び、机を叩きながら強く訴える場面もあり、
『クアトロ・ラガッツィ——天正少年使節と世界帝国』(集英社)を著して大佛次郎賞を受けた若桑みどりさんは、その中で、4人の悲劇は日本人の悲劇だったと書く。「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである」。そして「ジュリアンを閉じ込めた死の穴は、信条の自由の棺であった」とも記す。この若桑みどりって人は想像力か歴史の知識が欠如しているんじゃなかろうか?
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有スとある。仮に棺に閉じ込められなかったら、信教の自由とやらは何年頃に実現したと若桑みどりは考えているのだろう?
えー、先日、お世話になっているヨーヨーショップが、店頭販売をすると聞きまして。せっかくだから、糸でも買っとこうかなと。かな、と。かな…と…思ってたら、帰りにはうっかりヨーヨーを買ってました。
言わずと知れた(え?知らない?!)Duncanの名機、ハードコアシリーズのフリーハンド・ゼロです。
このフリーハンド・ゼロは、バンダイ・ハイパーヨーヨーでは、フリーハンドと呼ばれていました。ダンカンにもフリーハンドという機種がありますが、これとは違うものです。まず形状が違いますが、工作精度の点でフリーハンドよりフリーハンド・ゼロの方が優れています。実際に振ってみると一目瞭然です。
前にも書きましたが、私はバンダイ版も持っています。比較したのが右の写真。ヨーヨー本体の下に並んでいるのは、フリーハンド(CW、あるいは5Aとも)プレイに使うカウンターウエイト。ダンカンの説明書には、「Duncan Die」と書いてあります。サイコロのことですね。Collectable Counterweightとありますから、いろんな種類があるようです。ダンカン版は、バンダイ版よりも一個多く付属しています。
左の写真は、カウンターウエイト。五つのカウンターウエイトの下に見える小さな部品は、ヨーヨーのギャップを調整するためのスペーサ(spacer)です。最初から本体に二つ組み付けてあるのと併せて、全部で四つ付属しています。
右がヨーヨーに組みつけてあるところ。金属の軸が本体中心に生えていて、それに、スペーサ・ベアリング・スペーサの順で組んであります。写真では、片方のスペーサが本体の中に埋もれていて見えませんが。本体が黒なので解りにくいですが、本体軸周辺にフリクションステッカーと呼ばれる黒色のシートが貼ってあります。
スペーサとベアリングを本体から取り外したのが左の写真。写真左端の円筒が、銀色のスペーサ二個でベアリングを挟み込んでいるもの。金色の二つが、上の写真に写っていたスペーサです。ベアリングにちょっと瑕か錆のようなものが浮いてます。アメリカンクオリティですなあ。
ちなみに、銀色のスペーサの方が金色のスペーサよりも厚いです。左の写真だと解りやすいかな?初期設定の銀+銀に加えて、金+銀、金+金の組合せが可能なので、三段階にギャップを調整することができます。
今、全国のトイザらス、ユニーでヨメガヨーヨーを好評販売中です!という告知を発見、早速見に行ってみました。

