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2008-12-28

検閲: おいおい、思想弾圧かよ

久しぶりに大谷昭宏氏の記事を短めに論ってみる。『児童ポルノは犯罪の温床 ― 「単純所持の禁止」大いに賛成 ―』。児童ポルノに関しては私も大谷氏と同様、反対なのだが、単純所持が禁止されていいのかは少々疑問が残る。例えば、メールで一方的に送りつけられてきた場合、冤罪となる可能性がある。多分大谷氏は、ITには明るくないに違いない。

まあ、その点は技術論なので目を瞑るとしよう。しかし、次の部分はいただけない。
言論表現の自由は、断じて変態や犯罪行為の自由までも保障したものではないのである。
言論表現の自由は、犯罪の自由を保障していない。これは正しい。
しかしながら、「変態」というのは思想上の問題だ。思想の自由は完全に保障されている。たとえ、残虐非道な犯罪行為を行いたいという変態思想を持っていたとしても、それを実行に移さない限り罰せされることはない。

2007-08-30

今回は大谷氏の洞察に感服。でも…

お前はそんなに大谷のことが好きか?

と言われそうで恐いんですが(笑)、今回論うコラムはこれ→『私生活精査し再試験、再採用を
― やる気なくした警官たちの犯行続発 ―
』。

いつもならここからコラムの批判、となるんですが、今回は文句のつけようがありません。警察が吐いた嘘の推理も明解。さすがジャーナリスト。

でも、次の部分が引っかかりました。
まさに友野容疑者が採用された1986年といえばバブルの真っ最中。警官のなり手がなくて、試験らしい試験もせずに人をかき集めた時代なのだ。
ええと…私、その当時某県警(って、どこかバレバレですが)を受験したのですが…恥ずかしながら、

不合格

でした。とほほ。
言い訳をすると、当時でも県警は競争率が結構高くて、反対に大阪府警と警視庁は、大谷氏の言うとおり入りやすかったんですな。

2007-07-19

別の見解も

仕事が忙しくて更新できませんでした。すまぬ。

それはともかく、またまた大谷昭宏氏ネタなんですが、今回は氏のコラム『見舞金すら出さぬ美しい国 ― これでいいのか中国残留孤児への支援策 ―』について。

今回は珍しく、氏の意見に全面的に賛成です。残留孤児には手厚い保護政策が必要でしょう。

ただ、次の部分が気にかかりました。残留孤児である伊藤勝美さんの発言です。
「裁判所は、戦争の災禍は等しく国民の上に降りかかった。孤児だけが特別ではない、と言います。本当にそう思っているんですか。日本が侵略した国に女と子どもだけが残された。その人たちがどんな目に遭うか。国はそれさえも想像できないと言い張るのですか」
辛い目に遭われたことは本当だろうし、理解もできます。
しかし、それに対して、国だけを批判するのはどうでしょうか。彼女と彼女の母親が満州に残されたのは
勝美さんの父親は旧満州で現地応召
されたからです。現地応召と言うことは、満州現地で召集令状を受け軍務に就いた、つまり、兵隊に行く以前から満州に居た、ということです。なぜ現地に居たかというとおそらく、満州に殖民したからでしょう。満州殖民は何も、国家が強制したわけではありません。各個人の判断で満州へ渡ったはずです。
日本が満州を侵略したというのなら、彼の父親は自分の判断で率先して侵略の片棒を担いだ、と言えるのではないでしょうか。「日本が侵略した国に女と子どもだけが残された」ことに対して、日本が戦争に負けたのが悪い、と言うのなら正当な批判ですが、日本が他国を侵略したのが悪い、と言うのなら、それは彼等家族自身にも向けられるべき批判です。

ところで、残留孤児問題は私にも無関係ではありません。私の父は幼い頃に満州で育ちましたし、父方の祖父は満州鉄道に勤務していました。父が残留孤児になっていた可能性は十分にありますし、もしそうなっていれば、私は生まれていなかったでしょう。
その祖父から聞いた話ですが、終戦となり、日本に引き上げようとした祖父達に向かって、現地の支那人達が「今日本に帰ってもロクなことはない。ここに留まった方がまだマシだ」と言って引き止めたのだそうです。祖父達は、現地人からそれなりに尊敬されていたようです。でも一方、戦中に支那人を苛めていた日本人は、袋叩きに遭っていたそうです。
伊藤さんの両親が支那人を苛めていたかどうかは知りませんし、断言する材料も持っていません。しかし、一概に残留した日本人達が酷い目に遭ったか、というと、そうではないと思います。何故なら、親切に親切で報いる支那人もたくさん居るからです。

2007-07-02

結論が逆じゃない?>大谷昭宏氏

今回は珍しくほとんど大谷氏の意見に賛成…なのだが、なんで最後だけそーなるの?ってのが氏のコラム『裁判員制度を拒否したくなった ― 無実男性の願い撥ねつけた富山地裁 ―』。

先日無実が明らかになった強姦冤罪事件を取り上げているのだが、
いま、裁判員制度に参加したくないという国民の大きな理由の一つに「冤罪だったとき、生涯、罪の意識に苛まれる」というものがある。
と、ここまでは異論はない(法理論的にはいろいろあるんだとは思うが、そこは私も詳しくない)。

でも、その後の最後の部分は疑問だ。
こんな人間性のカケラもない裁判長の横に、健全な国民を置いてはならないのである。
「人間性のカケラもない」は言いすぎだと思うが、そこは目を瞑るとしよう。でも、そういう法曹界に欠けた「人間性」を取り戻そう、というのが裁判員制度の目的だ。今回のケースでも、裁判員制で裁かれていれば、証人喚問を行うべきだ、と裁判員が主張した可能性は非常に高いはずだ。それに、裁判官が犯した間違いも、複数の裁判員が精査すれば正すことができるかもしれない。

裁判員制度に参加したくない、と考える人が居ても不思議はないと思う。冤罪事件に加担することになっては、と心配するのも当然だからだ。
しかし、裁判官に人間性が欠けているから、という理由で裁判員制度に参加したくない、と考えるのは論理が破綻している。裁判官に人間性が欠けているなら、それを補うために何らかの対策が必要だと考えるのが論理的。その対策の一つとして裁判員制度が生まれたのだから、むしろ裁判員制度を支持すべきだ。
なんで大谷氏はこんな簡単な論理を理解できないのだろう…

2007-06-03

確かに「親学」は問題はあるが…大谷昭宏氏

ええと、最近大谷昭宏氏ネタばっかりなんですが…『子守歌と母乳で育てろだと ― あまりにくだらない「親学」の中身 ―』は…

確かに教育再生会議が提言した「親学」は、目的はともかく、内容のレベルが疑われるようなものではあった。でも、大谷氏の批判もレベルが低い。
先週は43年ぶりに小中学生の全国一斉学力テストが実施された。私立の小中学校の4割もが参加しない学力テストなんて何の意味があるのか。
要するに氏は「意味がない」と言いたいのだろう。しかし、そんなことはない。なぜなら、小中学校における私立学校の割合は、ごく少ないからだ。全小学校における私立の割合は0.8%。その4割が参加しない、と言うことは、参加しない私立小学校は、全小学校の内の0.32%にしかならない。逆に言えば、99.6%の学校が参加したということ。中学校で言うと、もう少し数値は下がるが、それでも97%以上の参加、という数値を得る。
これに意味がない、というのなら、一体どういう調査になら意味があるというのか。何が何でも100%でないと認めない、とでも言うのか。もしそうだったら異常なまでの完璧主義と言わざるを得ない。それでは世の中の大抵の調査は無意味、ということになるだろう。多くの調査は、全数調査でなく、標本調査に拠っている。
結局は安倍総理が提唱している学校バウチャー制度、学校間に格差をつけて、優秀な学校にはより手厚く、ダメ学校は切り捨てる。
そのような懐疑を抱くことは、ジャーナリストとしては当然かもしれない。しかし一方で、現実に存在している学校間の学力格差という問題を、氏はどのように解消すればいいと考えているのだろうか?問題の正確な把握なしには、問題の解決はありえない。学力調査をしなければ、学力格差は解消されない。
#学力格差を調査しなければ、学力格差は「ないことになっている」から、それに対して「対策しない」ということなのか?まさかそんなことはあるまいが。
#『口だけ出す人が何より困る』らしいが、反対だけする人は、その中の最たるものだろう。


子守歌を聞かせて母乳で育児しろだと。えっ、それじゃあ何かい。「浪曲子守歌」じゃないけど、逃げた女房に未練はないおとっつあんが、お乳欲しがるこの子 がかわいい、と言いつつ、子守歌など苦手な親父のド演歌のひとつもうなって聞かせたんじゃ、ロクな子どもは育たないというのか。
親学のレベルも低いが、この反論もレベルが低すぎ。言いがかりに過ぎない。現実の教育問題では、一つの要因が結果を支配してしまう、ということは殆どありえない。もしそうなら、そんな単純な問題はとっくに解決しているはず。現実には、複数の要因が関連して結果が生まれている。教育再生会議だって、子守唄を聞かせなかったら即ロクな子供が育たない、などとは当然言っていない。挙げた例の内、複数のものが「ダメ」なら結果も「ダメ」の可能性が高い(のではないか)と言っている。
その子どもに将来、何かあったとき、母親は、自分はあの親学の通りには出来なかった、この子に申し訳のないことをしてしまったと悩まなければならないのか。
これまた無意味な反論だ。親学の通りのできたかどうかはともかく、どちらにせよまともな親なら「その子どもに将来、何かあったとき」には悩むに決まっている。親も人間。完璧ではないのだから、いつも悩みはあるだろう。逆に、親学がなければ親は「その子どもに将来、何かあったとき」に悩まなくて済むという問題でもない。
それに有識者のみなさんはずい分とテレビがお嫌いなようだが、テレビにも素晴らしいドキュメンタリーや、大自然や動物の世界を描いた心揺さぶられる作品も ある。反対に演劇にも、小難しい自己表現とやらで、頭がこんがらがってくるような駄作もある。何を基準に演劇を鑑賞しろ、と声高に叫んでいるのか。
その理由は簡単。TVには「古典」がないからだ。古典とは、時間の淘汰に耐えた優れた作品のこと。TVにはそれがないが、演劇にはある。古典になっているかどうかを「基準に演劇を鑑賞しろ」と言えば十分。「小難しい自己表現とやらで、頭がこんがらがってくるような駄作」は、少なくとも古典には含まれない。
一方、確かに過去優れたTV番組もあった。しかし、それは現在放送されてはいない。高々数十年の歴史では、古典と呼べる時間の淘汰に十分とは言えない。再放送は何度かされるだろうが、数十年に何度かしか鑑賞・評価されないのでは、なおさら時間の淘汰が不十分。つまり、TVでは古典を基準に選択はできない。
また、駄作と名作の割合を論じないというのも乱暴な意見だ。日々新しい番組を制作し続けねばならないTVは、必然的に駄作の山を築く。演劇にも駄作はたくさんあるだろうが、稽古を重ねて上演される演劇の世界は、TVに比べれば品質が高くなるだろう。
TVは許認可事業。寡占市場のため競争原理が働きにくい。このことも、番組のレベルに影響を与えているだろう。

追記2007.6.5(火):
学力テストへの参加校数だが、asahi.com記事に正確なデータがある。これによると、
参加校の内訳は小学校2万1952校(99.64%)▽中学校1万501校(97.54%)▽中高一貫教育をしている中等教育学校22校(88.00%) ▽特別支援学校(旧盲・聾・養護学校など)281校(99.65%)。
とある。私の試算は、Wikipedia記事を基にしたが、ほぼ正確だった。私立・公立学校数については、文部科学省の発表資料(PDF)がある。

2007-05-29

検閲: この人、ツッコミどころ多すぎ→大谷昭宏氏

うへー、連続で大谷氏のコラムを取り上げちゃうよ。この人、ツッコミどころ多すぎなんだもん。

まずは、『改憲を叫ぶ男に託していいのか ― 問いかけこそメディアの責務 ―』を読んでもらいたい。要するに、

戦争反対!
九条改悪反対!

ってこと。賛成はできないが、そんな主張があっても構わない。これだけなら筋は通っている。

次に、『米より怖い日本銃社会 ― 規制できず取り締まれず ―』を併せて読んでみよう。こっちの方では、
つまり目に見えないものは、とりあえずなかったことにしておく。ないことにしてあるんだから、その対策なんてもってのほかという、いい加減な社会ではないかということなのである。
と書いている。つまりこれは

銃→ないことになっている→対策しない

ということへの批難だ。

前者はどうか。九条一項は、素直に読めば、いかなる戦争もを否定している。そういう意味では、戦争は「ないことになっている」。従って、戦争への「対策」は不要。なので同じ九条の二項で軍隊の保有も否定している。つまり、

戦争→ないことになっている→対策しない

ということではないのか。論理構造はまったく同じなのに、一方は批難し、もう一方には目を瞑る(というか、積極的に支持する)のは何故なのか。

検閲: 大谷昭宏『嗜好の違いも許されないのか ― 「禁煙の憂うつ」コラムに相次ぐ抗議 ―』

前にも『大谷昭宏って人の意見は、まったくもって論理ってもんがない』で取り上げたジャーナリスト・大谷氏。またまたやらかしてくれてます。氏のコラム『嗜好の違いも許されないのか ― 「禁煙の憂うつ」コラムに相次ぐ抗議 ―』をまず読んでみて下さい。

端的に言って、この件、
少々ブラック過ぎるユーモアを言った人
(小出宣昭氏)

シャレ通じない人

が居た、ってだけの話でしょ。
シャレが通じない人達へは、

ユーモアへの理解度で、その人の
文化レベル
が計れるらしいですよ。

とでも言ってあげれば良いだけ。
嗜好の違う人を許さない原理主義ではないのか
なんてユーモアのカケラもない反論をするのは

野暮に野暮を重ねる

ってもんです。原理主義社会も心配ですが、シャレの通じない社会の方が心配です。シャレが通じるなら、多少の原理主義なんか笑い飛ばせます。

ところで、小出氏のコラムは、ブラック過ぎるんだから、文句を言われて当然。笑いの中でもブラックユーモアは超高等技術。シャレが通じないのは、シャレが下手ってだけ。その点は反省した方が良いでしょうね。スー族の名誉のため、今後の精進されるがよいでしょう。

2007-02-08

大谷昭宏って人の意見は、まったくもって論理ってもんがない

久々の更新にもかかわらず、カタい話ですまぬ。仕事が忙しいのだ。

以前にも批判したことがあった([1][2])が、大谷昭宏氏のコラムを批判してみる。今回取り上げるのは、『「家族」の視点から女性・女系天皇に賛成 ― 男の子がいる家庭だけが理想か ―
氏はファミリーの視点から女性・女系天皇に賛成、と言っている。そもそも、女性天皇は過去に例があり、これに反対している人はほとんど居ない。だから、氏の主張は、「女系天皇に賛成」であって、その理由は、天皇家は、国民の敬愛する理想の家族(ファミリー)であるべきだから、というもの。続けて、現代の理想の家族とは、「必ずお世継ぎ様の男の子がいる家庭」ではない、と言っている。
なるほど。では、どういう家庭が理想なのか?そのことに氏は何も答えていない。子供が居ない家庭すら、理想の家庭足りうる、とは言っているが、具体的な条件は何も書いていない。
ならば、どんな家族でもいいってことになりはしないか?具体的に理想の家庭を定義しなければ、どんな結論でも導き出すことが可能だ。理想の家庭の具体像を定義しない限り、氏の主張は根拠のないものだと言わざるを得ない。

また氏は、現憲法の精神に基づけば、側室を認めることはできない、ということも女系天皇を認めざるを得ない理由に挙げている。そもそも現憲法はGHQに半強制されたものであり、そんなに有難がる程のものか、というのは措くとしても、側室を認めること以外に男系を保存していく方法はある。それは宮家を増やすことだ。この方法を取り上げないのはどういうことか?まあ、紙面の都合なのかもしれないが。