2009-08-16

「国のために死ねますか」対「愛する人のために死ねますか」

NHKの『戦争体験プロジェクト』って番組があったらしい。
私が見たのは、番組宣伝のCM(?)だけなのだが、このCMは、戦争に関する様々な質問を一般の人(?)に投げかける、という作りになっている。質問というのは例えば、「戦争の色は?」とか「戦争の味は?」という抽象的なものや、「空襲の時、何を持って逃げますか?」とか「戦争に行く家族に何を贈りますか?」と言った具体的なものまで様々で、それぞれに興味深かったが、特に気になった質問があった。
その質問とは、
あなたは“お国”のために死ねますか?
だ。気になる、と言っても、お国のために死ぬ覚悟がないなど、けしからん!…という話ではない。誰しも死ぬのは怖いし、日本は戦争を身近に感じない時代が続いたので、そういう覚悟ができてないのは、ある意味仕方ないとも言えるからだ。
では、何が気になったかというと、青年の次の言葉だ。
“国のために死ね”という国なら、滅んじゃえばいい
この回答は、言っていることは正しいが、受け答えとしてヘンだ。例えば、「国」を「愛する人」に置き換えてみると、何がヘンかが解る。
あなたは“愛する人”のために死ねますか?
という質問に対して、
“私のために死んで”という人なら、死んじゃえばいい
と回答したとすると、かなり違和感を感じるのではないだろうか?
「○○のために死ねるか?」という質問は、自分が自分に真剣に問うべき質問で、ニタついた顔で「○○」に責任転嫁するようなはぐらかし方をすべき質問ではないはずだ。

あと、中年男性の次の答のようなものは話にならない。
命をかけるほどの国じゃない
この回答者は、その「国」に自分や家族の生活を守られていることに気づいていない。治安はタダではないし、まともな商取引ができるのですら、安定した通貨システムと法に依っている。
この回答者はまた、自分がその「国」の主権者であることの責任にも気づいていないのだろう。今のような「国」になった責任の一端は、この回答者にもあるのに、この回答は無自覚・無責任に過ぎる。

こんな回答者達も肩身の狭い思いをせず生きていけるこの国は、いい国なんだろうか…

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