2007-12-03

キリスト・西暦・零

おわわさんのブログ『another way』の記事『どうなってんだか』を読んで一つ。
ところで、西暦0年ってキリストの生誕なんでしたっけ?
「B・C」ってBefore Christでしょ?

つーことはですよ。
キリストって12月25日が誕生日じゃないですか。
では、12月26日から31日に生まれた人は紀元前なの?紀元後なの?
そもそもどうしてキリストの誕生日を1月1日にしなかったんでしょう?
えー、真面目にお答えします。

まず、よくある誤解を解いておかねばなりません。紀元元年は、西暦1年(AD1)です。AD1の前の年は、AD0ではなく、BC1です。
こうなっているのには訳があります。西暦制定時には、ゼロの概念が広く通用していなかったからです。ゼロの概念自体は、紀元前にもあったらしいのですが、 広まるのはずっと後で、インドで0という記号が発明されてからのことです。これが大体AD600以降ではないかと言われています。
ちなみに、暦数に0の概念がないのは、日本の元号も同じですね。平成元年は平成1年で、平成0年ではないのと同じことです。

さて、AD1の1月1日から12月24日までに生まれた人はキリストより前に生まれている…というのは間違いです。なぜか?
西暦すなわちキリスト紀元が発明されたのはAD525。これは当時の研究でキリストの誕生年を推定した結果ですが、その後の研究によって、誤りが判明し、現在では、キリストはBC7~BC4生まれと推定されています。
というわけで、AD1の1月1日から12月24日までに生まれた人は、キリストの後に生まれた、と言う意味でも、紀元元年生まれという意味でも、紀元後生まれ、と言うことになります。
もっとも、その頃には西暦は発明されていなかったので、本人としては紀元元年生まれと認識してはいませんでした。西暦が欧州で広く用いられるようになったのは、15世紀以降だそうです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは~!
さっそくお邪魔しました。ご無沙汰しております。

ふむふむ。なるほど~。よくわかります。
私もこの手(←キリストのことではなくw)の話が好きなのでもう少しお付き合いくださると嬉しいのですが・・・

日本の暦数に0の概念、確かにないですね。
直近の例であげると、昭和64年と平成1年(←便宜上)は暦の上では同一年となり、あくまで1989年は昭和と平成が共存してます。
ところが、りょうさんが記事中に書かれている通り、どうして西暦ではAD1年の前年がBC1年なんでしょう?
それはすなわち概念上で0は認識されていなくても、0というのは人々の潜在意識の中にあったことを意味するのではないでしょうか?

となると一つの疑問点が出てきます。
キリストの実際の生誕はともかく、あくまでAD1年を生誕年とした場合の話です。
この場合、BCとの年号の共存は無いことになり、生誕年の1月1日から12月31日まではすべてAD1年となるはずです。
厳密に考えれば矛盾が発生しませんか?
AD1年の1月1日から12月24日までに生まれた人は、「キリストが生まれてないのに」紀元後に生まれたことになってしまう。
キリスト教の人たちが「NEWYEAR」と称するのは12月25日以降のことですよね。
ならばなぜ、このような矛盾を追及しなかったのでしょう?


ちなみに私なりの解答は持ってます。

それは、「アムロがガンダムをどうやって操縦したのか?」と同じ議論だから・・・と考えますw

りょう さんのコメント...

おわわさん:

ようこそ、いらっしゃいませ!

ゼロの概念の萌芽は、古代エジプト文明に既に見られるんだそうです。ただ、それに「ゼロ」という名前をつけて、他の数と演算する、というような応用はやっぱりずっと後のこと。

ADとBCは、言わば正数と負数に当たりますが、数学史的には、負数が発見された後、ゼロが発見されている。
ただ、数学で言う「発見」とは、定義および定式化のことで、それ以前にそれに対応する概念がなかった、と言うことを意味しません。数学では、概念を整理して定式化し、名前を付けることが重要なのです。

と、言うことを考えると、ゼロの概念は西暦制定当時もあっただろうと思います。が、数学的に言うと、BCとADをゼロの概念発見の傍証とするのは弱い。

さて、矛盾追求が起こらなかった理由ですが…まあ、年の定義が変わらなかったからでしょうねえ。キリストの誕生と暦数を無矛盾にしようと思えば、やはり12/25を年始にすべきだったのでしょうけど、それをやるためには、生活習慣に根付いた年の定義を変えねばなりません。それは如何にキリストが偉大であろうと、払いきれないコストだったと。

関係ないけど、『機動戦士ガンダム the Origin』は面白いですよ。